「あさらさら」飯

読み書き球児

2008年09月01日 07:44




最近、文章を作っています。

文章は「書く」が正しいように思いますが、
「作る」の方がしっくりくるのです。

白紙の原稿用紙と向き合うとき、
(現実には「新しいドキュメント」ですが、文学青年っぽく)

無限にある言葉の組合せを想い、
無限の可能性があるように感じます。

しかし、ひとたびペンを動かせば、
(現実には「キーボードを・・・」、以下略)

無限の可能性の大部分が消失して、
見渡せるだけの未来が残るようになります。

これは悲しいことなのでしょうか。

確かに可能性は失いました。
しかし、完成には大きく近づいたのも事実です。

ということは、
無限の可能性なんてものを持っている内は、
いつまでも足踏みしているのと変わらないのではないか。

二十歳を過ぎ、就職先も決まり、
もはや私は、勇者や魔法使いどころか
プロ野球選手にもなれないことは確定しました。

子供の頃は無限にあったはずの
可能性の大部分がなくなりました。

それでも私は、
自信を持って言えます。

無限の可能性が
有限の選択肢に変わり
未来の輝きは増している
と。

(文中に過分な文学青年かぶれが
あったことを深くお詫び申し上げます。  草々)

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