「あさらさら」飯
最近、文章を作っています。
文章は「書く」が正しいように思いますが、
「作る」の方がしっくりくるのです。
白紙の原稿用紙と向き合うとき、
(現実には「新しいドキュメント」ですが、文学青年っぽく)
無限にある言葉の組合せを想い、
無限の可能性があるように感じます。
しかし、ひとたびペンを動かせば、
(現実には「キーボードを・・・」、以下略)
無限の可能性の大部分が消失して、
見渡せるだけの未来が残るようになります。
これは悲しいことなのでしょうか。
確かに可能性は失いました。
しかし、完成には大きく近づいたのも事実です。
ということは、
無限の可能性なんてものを持っている内は、
いつまでも足踏みしているのと変わらないのではないか。
二十歳を過ぎ、就職先も決まり、
もはや私は、勇者や魔法使いどころか
プロ野球選手にもなれないことは確定しました。
子供の頃は無限にあったはずの
可能性の大部分がなくなりました。
それでも私は、
自信を持って言えます。
無限の可能性が
有限の選択肢に変わり
未来の輝きは増している
と。
(文中に過分な文学青年かぶれが
あったことを深くお詫び申し上げます。 草々)
関連記事